【2月3日「節分」(2021年の節分は124年ぶりに2月2日です)】
ご存知、「鬼は外、福は内」と言いながら豆をまく節分。立春の前日に当たります。年齢の数だけ豆を食べたり、玄関などのヒイラギ・イワシを飾ったり、各地で様々な風習があります。
元々、季節の変わり目には邪気・鬼が生じると言われ、邪気払い・悪霊払いの行事が行われてきました。平安時代には中国の風習が由来の「追儺(ついな)」などが行われていました。豆をまくようになったのは、室町時代から。鬼の目「魔目」を滅ぼす「魔滅」から来ているようです。
関西を中心に「恵方を向いて、巻きずしを無言で食べきる」という恵方巻の風習があります。起源には諸説あり、昭和中期に大阪の鮨、海苔、厚焼きなどの業界団体がキャンペーンとして始めた説が有力です。平成元年には、大手コンビニエンスストアが広島県で節分の巻きずしを「恵方巻き」と称して商品化。その後、全国に広まっていきました。
2021年の恵方は「南南東」。恵方は「東北東」「西南西」「南南東」「北北西」の4方角、いずれかで毎年変わります。
【2月13日「日本遺産の日」】
日本遺産は文化庁が「地域の歴史的魅力や特色を通じて我が国の文化・伝統を語るストーリー」として認定するもの。2015年4月に第1回認定が行われ、奈良県が含まれる日本遺産は、
◆日本国創成のとき ~飛鳥を翔(かけ)た女性たち~
◆森に育まれ、森を育んだ人々の暮らしとこころ ~美林連なる造林発祥の地“吉野”~
◆1400年に渡る悠久の歴史を伝える「最古の国道」 ~竹内街道・横大路(大道)~
◆1300年つづく日本の終活の旅 ~西国三十三所観音巡礼~
◆女性とともに今に息づく女人高野 ~時を超え、時に合わせて見守り続ける癒しの聖地~
◆もう、すべらせない!! ~龍田古道の心臓部「亀の瀬」を越えてゆけ~
◆「葛城修験」-里人とともに守り伝える修験道はじまりの地
が認定されています。
この日本遺産への理解と関心を高め、各地の取り組みをさらに充実させるため、文化庁は2019年12月13日、「2月13日を『日本遺産の日』とする」と宣言しました。
2月13日の根拠ですか? 「に(2)ほんい(1)さん(3)」という語呂合わせのようです。
【2月14日「奈良公園誕生日」】
世間ではバレンタインデーですが、奈良県では「奈良公園誕生日」なのです。
明治13年(1880年)2月14日を開設日とする奈良公園。正式名称は「奈良県立都市公園 奈良公園」といい、2020年には“140歳の誕生日”を迎えました。
奈良公園は公称総面積511.33ヘクタール。興福寺、東大寺、春日大社、奈良国立博物館なども含めると、660ヘクタールになります。春日山原始林や若草山に代表される自然、歴史的な堂塔伽藍、鹿とたわむれる観光客とにぎわう門前町…。それらが互いに消し合うことなく調和した貴重な公園です。
「兎に角、奈良は美しい所だ。自然が美しく、残ってゐる建築も美しい。そして二つが互いに溶けあつてゐる点は他に比を見ないと云つて差し支へない。」
こう記述したのは、奈良公園のすぐ南、高畑に住んだ志賀直哉です(昭和13年『奈良』)。
万葉集に詠まれた時代から中近世の「南都八景」、そして国内外多くの観光客を引き付ける魅力。歴史・文化・自然、それらを大切にしてきた人々の思いが詰まっている奈良公園では、今日もたくさんの人と鹿がのんびりと散策を楽しんでいることでしょう。
【2月22日「聖徳太子が薨御(こうぎょ)」】
仏教興隆の詔、法隆寺や四天王寺の建立、冠位十二階、十七条憲法、小野妹子ら遣隋使の派遣…。聖徳太子(厩戸皇子)が主導した古代日本の国家的事業は数多くあります。現在でも篤く信仰されている聖徳太子(厩戸皇子)は、『日本書紀』によると、推古29年(621年)、斑鳩宮で倒れます。その回復を祈って看病していた妃・膳夫妃が不幸にも先に亡くなり、後を追うように聖徳太子(厩戸皇子)も薨御しました。まだ、49歳でした。
聖徳太子(厩戸皇子)が眠る墓について、宮内庁は大阪府太子町の叡福寺にある磯長墓(しながのはか)としています。
没後1400年を迎える2021年は、1400年御遠忌として法隆寺はじめ、聖徳太子ゆかりの寺院などで法要が営まれます。
【2月27日「豊臣秀吉が吉野で花見(旧暦)」】
下千本、中千本、上千本、折り重なるように吉野を染める山桜。その春の絶景は毎年多くの人を陶酔させます。
豊臣秀吉も陶酔させられた一人でした。
時は文禄3年(1594年)2月27日(新暦4月17日)、秀吉は徳川家康、宇喜多秀家、前田利家、伊達政宗らそうそうたる武将や茶人、連歌師たち、総勢5000人もの規模で吉野山を訪れました。
最初の3日間、雨が降り続きました。これに腹を立て、「雨が止まなければ吉野山に火をかけて即刻下山する」と秀吉。吉野全山の僧たちは晴天祈願を行い、翌日は奇跡のように晴れ渡り、豪華絢爛な花見が盛大に催されました。当時、勢力の絶頂期にあった秀吉は、「天をも動かした」と悦に入ったか、あるいは吉野山の神仏の効験におそれ入ったかしたことでしょう。
この花見で秀吉が本陣を置いた吉水院(吉水神社)は中千本、上千本が一望できる絶好の花見スポットです。
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