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鴎外の門(奈良市)

こんなところに歴史の名残。文豪の仕事を支えた宿舎の門。

大勢の観光客でにぎわう奈良市の奈良公園エリア。中でも登大路を進み、東大寺参道へ左折する「大仏殿」交差点は、観光客の通行量が最も多いポイントのひとつでしょう。その交差点から程近い場所に、「鴎外の門」があります。

 

決して小さなものではありませんし、門の由来を説明する石碑もあるのですが、観光客の多くはその先にある奈良公園の芝生、鹿、東大寺の大仏さま、春日大社、若草山などに気がはやり、この門は素通りされがちです。つまり、「鴎外の門」は知る人ぞ知る隠れスポットなのです。

 

鴎外とは、そう、森鴎外(1862~1922)のことです。明治・大正時代の小説家、軍医などとして知られ、『舞姫』『雁』『阿部一族』『山椒大夫』『高瀬舟』の作品が特に有名です。

 

森鴎外は島根県津和野の生まれで、東京大学医学部卒業。東京だけでなく、ドイツや福岡にも居住しました。その鴎外と奈良にどんな縁があって、「鴎外の門」がここにあるのでしょう。

 

大正6年12月、鴎外は帝室博物館総長に任命されました。同総長は東京、京都、そして奈良にある帝室博物館を統括する要職です。奈良の帝室博物館…そうです、現在の奈良国立博物館です。鴎外は大正7年~10年まで、毎年秋になると、正倉院宝庫の開封に立ち会うため、奈良を訪問。その宿舎があった場所が、今、「鴎外の門」が残る奈良国立博物館の東北隅だったのです。

 

博物館総長としての公務の合間には、奈良の古刹・名所を巡ったといい、晩年にはイギリス皇太子を奈良に案内しました。奈良滞在中には、妻子へ手紙や絵はがきを送り、略地図の宿舎に「パパのいるところ」と書き込んだものもあります。

門だけが現存し、門の向こう側を覗いてみても、当時の邸の面影は想像するしかありません。


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