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「壬申の乱」ゆかりの奈良歴史スポット ⑬ 高安城・衛我河の戦(平群町)

「壬申の乱」は672年に勃発した古代日本最大の戦乱です。奈良・飛鳥から滋賀・大津に遷都した天智天皇(当時は「大君」)の後継の大君に同母弟の大海人皇子が有力視されていましたが、天智天皇は息子の大友皇子を後継にしようと太政大臣に任命しました。大海人皇子は“兄にとって大友皇子を大君にするには、私が一番の障壁だ”と身の危険を感じて、奈良吉野に移り住みました。
やがて天智天皇が崩御。大友皇子は「叔父を生かしておいてはならぬ」と考え、吉野への物資供給網を封じたり、配下に武器携帯を命じたりしました。この動きを察知した大海人皇子は「このままでは…」と挙兵を決断。両軍一進一退の後、大海人皇子軍が優勢となり、勝利。大海人皇子は天武天皇として即位しました。
2022年、壬申の乱から1350年が経ちました。奈良に伝わる「壬申の乱」スポットを巡り、シリーズで紹介していきます。

⑬高安城・衛我河の戦(平群町)

 

大海人皇子軍とて連戦連勝ではありませんでした。

 

飛鳥の戦で勝利を収めた大伴吹負は、次に乃楽(奈良)に向かいます。その途中、「河内(大阪)から朝廷軍の軍勢が攻めてくる」との情報が入りました。将軍である吹負は武将の坂本臣財(おみたから)に別動隊を編成させ、河内方面へ向かわせました。

 

坂本臣財は朝廷軍が高安城(たかやすのき/奈良県平群町と大阪府八尾市の府県境)にいるとの情報により、高安城へ攻め登りました。坂本臣財が高安城へ到着したのは、朝廷軍が高安城の税倉(倉庫)を焼き払って、どこかへ去った後でした。

 

坂本臣財の部隊は山から大阪側を見下ろして、朝廷軍を探したところ、衛我河(えがのかわ・現在の石川)付近にいるのを発見。山を下り、衛我河を渡ったところで朝廷軍の将軍壱伎史韓国(いきのふびとからくに)が率いる軍勢と戦いました。

 

しかし、多勢に無勢。坂本臣財部隊は兵力で上回る壱伎史韓国の軍勢に退けられ、無念、飛鳥へ退却を余儀なくされました。敗走した坂本臣財でしたが、飛鳥に戻ると援軍を得て軍勢を再び整え、逆襲の機会をうかがうのでした(当麻の戦へ)。

 

高安城は、天智天皇が朝鮮半島に出兵して大敗を喫した白村江の戦を機に、唐や新羅に大和が攻め込まれることを警戒して、各地に築いた国土防衛のための山城のひとつです。具体的な遺構は残っていませんが、倉庫址礎石群が当時の名残をとどめています。

 

高安城跡にアクセスするには、奈良側からは生駒・信貴山スカイラインを利用し、大阪側からは近鉄西信貴ケーブルを利用します(信貴山口駅~高安山駅)。

 

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