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「壬申の乱」ゆかりの奈良歴史スポット ⑪ 飛鳥の戦(明日香村)

「壬申の乱」は672年に勃発した古代日本最大の戦乱です。奈良・飛鳥から滋賀・大津に遷都した天智天皇(当時は「大君」)の後継の大君に同母弟の大海人皇子が有力視されていましたが、天智天皇は息子の大友皇子を後継にしようと太政大臣に任命しました。大海人皇子は“兄にとって大友皇子を大君にするには、私が一番の障壁だ”と身の危険を感じて、奈良吉野に移り住みました。
やがて天智天皇が崩御。大友皇子は「叔父を生かしておいてはならぬ」と考え、吉野への物資供給網を封じたり、配下に武器携帯を命じたりしました。この動きを察知した大海人皇子は「このままでは…」と挙兵を決断。両軍一進一退の後、大海人皇子軍が優勢となり、勝利。大海人皇子は天武天皇として即位しました。
2022年、壬申の乱から1350年が経ちました。奈良に伝わる「壬申の乱」スポットを巡り、シリーズで紹介していきます。

⑪飛鳥の戦(明日香村)

 

大海人皇子に大伴吹負がもたらした先手必勝の功績

 

吉野を立ち、大和を出た大海人皇子でしたが、敵方の大友皇子らがいる大津宮以前に都が置かれた飛鳥は、有力な豪族がまだ多くおり、壬申の乱の戦局や今後の政局を占うにはとても重要な要衝の地でした。当然、両軍とも飛鳥を抑えようと軍勢を送りました。このとき大海人皇子軍に大伴吹負(おおとものふけい)が大きな戦勝をもたらしました。

 

飛鳥に敵軍が集結しつつある情報をつかんだ吹負は、一計を案じます。飛鳥で留守司を務めていた坂上熊毛を味方につけ、吹負が大海人皇子の子・高市皇子になりきって、「高市皇子がたくさんの軍勢を率いてきた」と使者と敵陣営に走らせたのです。

 

この“偽情報”に敵軍は動揺し、ひるみました。そこを吹負ら数十騎が攻め込み、飛鳥を抑えることに成功したのです。なお、現在の飛鳥水落遺跡(漏刻台=水時計台の跡とされる)の付近に、当時は武器庫があったといわれています。

 

この大勝利のニュースを知った大海人皇子は、吹負を大和方面軍の将軍に任命しました。以後、吹負は、飛鳥奪回のために奈良方面や河内方面から攻め込んでくる大友皇子・朝廷軍と大和の各地で戦火を交えることになりました。

 

壬申の乱当時の兵士が装着した甲冑は鉄製で、剣などの武器も重く、生死を懸けて戦うにはたいへんな苦労があっただろうと考えられます。奈良県立橿原考古学研究所博物館では、甲冑と刀など古代の武具を常設展示で見ることができます。

 

「壬申の乱」ゆかりの奈良歴史スポット ⑩ 宗像神社(桜井市)

「壬申の乱」ゆかりの奈良歴史スポット ⑫ 村屋神社・中ツ道(田原本町)


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