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「壬申の乱」ゆかりの奈良歴史スポット ⑩ 宗像神社(桜井市)

「壬申の乱」は672年に勃発した古代日本最大の戦乱です。奈良・飛鳥から滋賀・大津に遷都した天智天皇(当時は「大君」)の後継の大君に同母弟の大海人皇子が有力視されていましたが、天智天皇は息子の大友皇子を後継にしようと太政大臣に任命しました。大海人皇子は“兄にとって大友皇子を大君にするには、私が一番の障壁だ”と身の危険を感じて、奈良吉野に移り住みました。
やがて天智天皇が崩御。大友皇子は「叔父を生かしておいてはならぬ」と考え、吉野への物資供給網を封じたり、配下に武器携帯を命じたりしました。この動きを察知した大海人皇子は「このままでは…」と挙兵を決断。両軍一進一退の後、大海人皇子軍が優勢となり、勝利。大海人皇子は天武天皇として即位しました。
2022年、壬申の乱から1350年が経ちました。奈良に伝わる「壬申の乱」スポットを巡り、シリーズで紹介していきます。

⑩宗像神社(桜井市)

 

大海人皇子の息子高市皇子創建と伝わる、宗像三女神を祀る社

 

国道165号から一段下がったところに宗像神社はあります。宗像社、春日社、若宮社があり、そびえる杉の巨樹に守られています。

 

創建したのは高市皇子だとされています。大海人皇子(のち天武天皇)の息子です。高市皇子は母方の氏神を祀ったと伝わり、すなわち、多紀理毘賣命(タギリヒメ)、市寸嶋比賣命(イチキシマヒメ)、田寸津比賣命(タギツヒメ)で、福岡筑前の宗像大社のご祭神・宗像三女神(田心姫神、市杵嶋姫神、湍津姫神)です。福岡の宗像大社は世界遺産『「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群』の構成資産の一つです。

 

神職は常在していませんが、境内は掃き清められていて、地域の人々から大切にされていることがわかります。静寂に包まれながら、壬申の乱を戦った高市皇子がどのような思いで母の故郷の氏神をここに祀ったのか、想像を巡らせてみてください。

 

余談のような記述になりますが、高市皇子の逝去に際して柿本人麻呂がつくった挽歌が『万葉集』にあります。「かけまくも ゆゆしきかも 言はまくも あやに畏き 明日香の 真神が原に~」と続く長歌で、万葉集で最も長い歌です。

 

この長歌の前半では、父(大海人皇子=天武天皇)から「服従はぬ国を治め」るよう戦いの指揮を任された高市皇子が勇ましく軍を率いて伊勢の神宮から吹く神風で敵を惑わせて平定したことが描写されています。

 

なお、この長歌の最後に記されている「香具山の宮」は高市皇子がお住まいになられたところで、現在の香具山(香久山)にあったとされています。

 

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