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「壬申の乱」ゆかりの奈良歴史スポット ⑥ 神武天皇 畝傍山東北陵(橿原市)

「壬申の乱」は672年に勃発した古代日本最大の戦乱です。奈良・飛鳥から滋賀・大津に遷都した天智天皇(当時は「大君」)の後継の大君に同母弟の大海人皇子が有力視されていましたが、天智天皇は息子の大友皇子を後継にしようと太政大臣に任命しました。大海人皇子は“兄にとって大友皇子を大君にするには、私が一番の障壁だ”と身の危険を感じて、奈良吉野に移り住みました。
やがて天智天皇が崩御。大友皇子は「叔父を生かしておいてはならぬ」と考え、吉野への物資供給網を封じたり、配下に武器携帯を命じたりしました。この動きを察知した大海人皇子は「このままでは…」と挙兵を決断。両軍一進一退の後、大海人皇子軍が優勢となり、勝利。大海人皇子は天武天皇として即位しました。
2022年、壬申の乱から1350年が経ちました。奈良に伝わる「壬申の乱」スポットを巡り、シリーズで紹介していきます。

⑥神武天皇 畝傍山東北陵(橿原市)

 

大海人皇子が神託の通りに守護祈願をした神武天皇の御陵

 

皇室が初代天皇とする神武天皇の御陵・畝傍山東北陵(うねびやまのうしとらのすみのみささぎ)です。濃密な木々に囲まれて拝礼所に立ち、御陵に向かい、耳をすますと、神聖な気配に包まれます。

 

壬申の乱前、大海人皇子は「高市社に居る事代主神」と「身狭社に居る生霊神」の神託に従い、神武天皇の御陵を訪れ、挙兵報告と守護祈願をした―と『日本書紀』が伝えています。

 

戦勝祈願というわけではありませんが、実際に、大海人皇子は壬申の乱に勝利しました。「国家安寧のために」という思いが通じたのかもしれません。現代でも皇室の方々がご自身や宮家のご報告等のために参拝されます。

 

「神武天皇畝傍山東北陵」の陵印は、同所にある宮内庁書陵部畝傍陵墓監区事務所で押していただけます。

 

「壬申の乱」ゆかりの奈良歴史スポット ⑤ 夢見の桜(櫻本坊/吉野町)

「壬申の乱」ゆかりの奈良歴史スポット ⑦ 浄見原神社(国栖奏)(吉野町)


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