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「壬申の乱」ゆかりの奈良歴史スポット ③ 河俣神社(橿原市)

「壬申の乱」は672年に勃発した古代日本最大の戦乱です。奈良・飛鳥から滋賀・大津に遷都した天智天皇(当時は「大君」)の後継の大君に同母弟の大海人皇子が有力視されていましたが、天智天皇は息子の大友皇子を後継にしようと太政大臣に任命しました。大海人皇子は“兄にとって大友皇子を大君にするには、私が一番の障壁だ”と身の危険を感じて、奈良吉野に移り住みました。
やがて天智天皇が崩御。大友皇子は「叔父を生かしておいてはならぬ」と考え、吉野への物資供給網を封じたり、配下に武器携帯を命じたりしました。この動きを察知した大海人皇子は「このままでは…」と挙兵を決断。両軍一進一退の後、大海人皇子軍が優勢となり、勝利。大海人皇子は天武天皇として即位しました。
2022年、壬申の乱から1350年が経ちました。奈良に伝わる「壬申の乱」スポットを巡り、シリーズで紹介していきます。

大海人皇子を守護すると事代主神の神託が下ったゆかりの神社

 

3月後半から4月上旬、桜並木が花盛りを迎えた曽我川のほとりに河俣神社の社叢があります。主祭神は「鴨八重事代主神」。事代主神(ことしろぬしのかみ)は大国主神の子とされる日本神話上の神で、天皇を守護する神として、現在も宮中の八神殿を成す一柱になっています。

 

『日本書紀』によると、壬申の乱の折、「高市社に居る事代主神」が高市許梅(飛鳥時代の人物)に神懸かりをし、神武天皇の御陵に馬および種々の兵器を奉れば、大海人皇子を守護すると神託したといいます。

 

大海人皇子は神託の通りに神武天皇御陵に向かいました。その後の壬申の乱の結末はご存知の通りです。

 

大海人皇子は天武天皇として即位した後、河俣神社を指すとされる「高市御縣坐鴨事代主神」に神位を授けました。創建年代は不詳ですが、「思はぬを思ふといはば眞鳥住む 卯名手の社の神し知らさむ」と『万葉集』にある歌は、河俣神社を詠んだもので、境内には歌碑が建てられています。

 

境内は南北に細長く、北向きに鳥居が建てられています。参道を薄暗くする木々の間を拝殿に向かいます。拝殿内には板絵が奉納されており、格子の隙間から覗き見ることができます。参拝をし、大海人皇子を守護した神懸かり的な霊験にあやかれるといいのですが…。

 

「壬申の乱」ゆかりの奈良歴史スポット ② 「天皇淵」(吉野町)

「壬申の乱」ゆかりの奈良歴史スポット ④ 牟佐坐神社(橿原市)


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