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『大和名所図会』今昔めぐり ⑱内山永久寺

江戸時代の作家・秋里籬島と絵師・竹原春朝斎が奈良を訪れ、183点の絵と紀行文をまとめ、寛政3年(1791年)に刊行した『大和名所図会』。奈良県内各地の風景や社寺境内の鳥瞰図、自然や旧跡、年中行事や名産・習俗・伝承などが掲載され、奈良の魅力が盛りだくさんに紹介されています。江戸時代の作家と絵師が見た奈良の名所風景をたどり、追体験を楽しめるスポットを紹介していきます。
【参考】『大日本名所図会 第1輯 第3編 大和名所図会』(大正8年)(国立国会図書館)

18.内山永久寺(巻之四)(関連スポット:内山永久寺跡)

 

天理市内で国道25号を東進していくと、天理トンネルの手前に静かに水をたたえる池があります。かつて隆盛した内山永久寺の浄土式回遊庭園にあった池だと言われています。

 

内山永久寺は、永久年間(1113年~1118年)建立の寺院で、本尊は阿弥陀如来。挿図には、浄土式回遊庭園、本堂、観音堂、八角多宝塔など、多くの堂塔が建ち並んでいた様子が描かれています。右奥と左には民家も描かれており、門前のにぎわいが伝わってくるようです。

 

本文には、鳥羽院(鳥羽天皇)の勅願によって、「真言伝法の人なり」とする亮慧が開基したとあり、この地は五鈷の形の山に囲まれていることから「内山」と呼ばれたこと、また、永久年中に草創されたため永久寺と名づけられたことが記されています。そして、「本堂には阿弥陀仏を本尊とす。奥院の不動明王は、日本三體の其一なり。観音堂、千体仏堂、二層塔、大師堂、真言堂には大日如来を安ず。(中略)其外諸堂魏々として、子院四十七坊ありとなん。」と示され、壮大な伽藍を擁する大寺だったことがわかります。

 

静寂に包まれた現在の様子からは想像しづらいかもしれませんが、往時は、奈良では東大寺、興福寺、法隆寺に次ぐ規模の寺院だったようです。元弘の乱(1331年)時には後醍醐天皇やその皇子である大塔宮(護良親王)ら一行が、鎌倉幕府勢から逃れて、内山一帯に隠れ籠ったといいます。その後、寺勢は衰え、明治時代の廃仏毀釈で廃寺にされました。

 

池の周囲には毎春、桜が池を覆いつくさんばかりに咲き誇り、花見客や写真愛好家たちが訪れる桜必見のスポットになっています。挿図に描かれている、池の内側に浮かぶ小島は健在です。廃寺以前、松尾芭蕉も内山永久寺を訪れ、「うち山や とざましらずの 花ざかり」と、見事な満開の桜に感動した様子を詠み、その歌碑が池のほとりに建てられています。

 

現地現存している内山永久寺の名残は、池のみですが、北へ約1㎞のところに鎮座する石上神宮に、内山永久寺にあった鎮守社「住吉社」の拝殿が移築されています。石上神宮摂社出雲建雄神社拝殿がそれで、国宝に指定されています。内山永久寺の貴重な遺構にもぜひ訪れてみてください。

 

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