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『大和名所図会』今昔めぐり ⑬垂仁天皇陵

江戸時代の作家・秋里籬島と絵師・竹原春朝斎が奈良を訪れ、183点の絵と紀行文をまとめ、寛政3年(1791年)に刊行した『大和名所図会』。奈良県内各地の風景や社寺境内の鳥瞰図、自然や旧跡、年中行事や名産・習俗・伝承などが掲載され、奈良の魅力が盛りだくさんに紹介されています。江戸時代の作家と絵師が見た奈良の名所風景をたどり、追体験を楽しめるスポットを紹介していきます。
【参考】『大日本名所図会 第1輯 第3編 大和名所図会』(大正8年)(国立国会図書館)

13.垂仁天皇陵(寶來山)(巻之三)(関連スポット:垂仁天皇陵、および相撲発祥の地)

 

薬師寺や唐招提寺がある西ノ京エリアに、第11代天皇・垂仁天皇の陵と治定される古墳があります。全国第20位の規模の前方後円墳(墳丘長227m)で、墳丘と同心を成すように鍵穴型の周濠が巡らされています。
東側から眺めた古墳の姿は端正にかたどられ、近鉄尼ヶ辻駅から西へすぐという好アクセスも相まって、奈良では人気の古墳のひとつと言えるでしょう。

 

『大和名所図会』の挿図では、前方後円墳に見えませんが、中央やや左上に「寶來山」(ほうらいやま)と記され、左上には引用であることを明記して「垂仁天皇陵字宝來山といふ」と書かれています。

 

また、本文には、「菅原伏見二基陵」として、「東は垂仁天皇の陵、西は安康天皇の陵なり。いづれも〔延喜式〕に見えたり。東は寳來山、西は兵庫山といふ。」とあり(「延喜式」=奈良・平安時代の根本法典)、実際の被葬者は明らかではありませんが、明治期に宮内省(宮内庁)によって『延喜式』に「菅原伏見東陵」として記載のある垂仁天皇陵に治定されました。挿図の右奥に見えるのは、安康天皇陵で、現在の宝来IC近くにあります。

 

周濠の南東部にぽっかりと小島が浮かぶのも、この古墳の特徴。小島の調査は行われたことがなく、この挿図にも、他の江戸時代~明治時代の図会にも描かれていないことから、随分と後世になって形成されたものだと推察できます。なお、作家・秋里籬島と絵師・竹原春朝斎が『大和名所図会』を発刊したのは寛政3年(1791年)ですが、その58年後の嘉永2年(1849年)に、垂仁天皇陵は盗掘に遭っています。

 

垂仁天皇陵を巡るように田と田を縫う道には、人々、馬、駕籠の往来が描かれています。薬師寺や唐招提寺へ参拝に向かうのでしょう。

 

垂仁天皇の治世に発祥したとされる「相撲」を巡るモデルコースはこちら
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