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『大和名所図会』今昔めぐり ⑦興福寺 東金堂 猿澤池(巻之二)(関連スポット:猿沢池)

江戸時代の作家・秋里籬島と絵師・竹原春朝斎が奈良を訪れ、183点の絵と紀行文をまとめ、寛政3年(1791年)に刊行した『大和名所図会』。奈良県内各地の風景や社寺境内の鳥瞰図、自然や旧跡、年中行事や名産・習俗・伝承などが掲載され、奈良の魅力が盛りだくさんに紹介されています。江戸時代の作家と絵師が見た奈良の名所風景をたどり、追体験を楽しめるスポットを紹介していきます。
【参考】『大日本名所図会 第1輯 第3編 大和名所図会』(大正8年)(国立国会図書館)

7.興福寺 東金堂 猿澤池(巻之二)(関連スポット:猿沢池)

 

興福寺は今なお南都の大寺としての風格を漂わせる、世界遺産登録の古刹です。藤原氏の氏寺で、藤原鎌足の遺志によって創建された山階寺(やましなでら)が藤原京に移されて厩坂寺(うまやさかでら)と改称し、さらに710年の平城遷都の際に藤原不比等が興福寺として開創しました。

 

この「興福寺」と題する挿図には、ほぼ中央に五重塔、その左に東金堂、右手前に広がる猿沢池、左下に南円堂(本文には、南円堂の本尊は肩に鹿皮を掛けた不空羂索観音と紹介された)が描かれています。

 

猿沢池の畔には鹿が描き込まれており、興福寺境内へ上がる「五十二階段」も見えます。その近くに「アクサブノモリ」とカナ文字があるのも興味深いです。一方、現在の風景を印象づけるシダレ柳の並木は描かれていません。

 

また、猿沢池といえば、采女(うねめ)の悲恋の逸話が有名です。采女は、図会本文に「采女とは人の名にあらず、官職にして大内裏の御時、節会・配膳の役など勤むる女なり」と解説されています。

 

悲恋の物語とは――ある采女が天皇の寵愛を受けたものの、再び召し出されることはなく、それを悲しんで猿沢池に身を投げてしまった――というものです。挿図には、その采女が身を投げる前に衣服をかけたといわれる「衣掛柳」が描かれています。采女の霊を慰める神事が「采女祭」で、毎年中秋の名月の夜に行われています。

 

それにしてもこの鳥観図。当時ドローンがあったはずもなく。絵師の竹原春朝斎の想像力には感服させられます。大和名所図会には、他にも上空から俯瞰する鳥観図が多く掲載されており、江戸時代の読者の驚嘆を誘い、大いに魅了したことでしょう。

 

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