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『大和名所図会』今昔めぐり ⑥飛火野の螢(巻之一)(関連スポット:飛火野)

江戸時代の作家・秋里籬島と絵師・竹原春朝斎が奈良を訪れ、183点の絵と紀行文をまとめ、寛政3年(1791年)に刊行した『大和名所図会』。奈良県内各地の風景や社寺境内の鳥瞰図、自然や旧跡、年中行事や名産・習俗・伝承などが掲載され、奈良の魅力が盛りだくさんに紹介されています。江戸時代の作家と絵師が見た奈良の名所風景をたどり、追体験を楽しめるスポットを紹介していきます。
【参考】『大日本名所図会 第1輯 第3編 大和名所図会』(大正8年)(国立国会図書館)

6.飛火野の螢(巻之一)(関連スポット:飛火野)

 

春日大社へ向かう参道の右手に広がる飛火野。芝生の上を鹿たちがのんびりと歩き、観光や散策に多くの人が足を踏み入れるスポットです。

 

奈良時代に狼煙台が設けられたことが地名の由来です。大和名所図会の本文には「春日大明神はじめて御光臨の時、八代尊をめしぐしたまへり。夜半に奈良の里に着きたまひしに、道闇(くら)ければ尊は口より火を出だしたまひき。」と、春日大明神光臨の道案内の火が地に残り、聖武天皇の命令で野守に守らせたと紹介されています。

 

さて、図会の挿画では、男性が扇子や笹のような小枝を振り回して蛍を追いかけています。この方法で蛍を捕まえられたのでしょうか。振袖姿の女性はやさしく団扇を差し出し、その先に飛んでいる蛍を侍女がそっと捕まえようとしています。腰を掛けている男女も夕べの一時を楽しんでいます。江戸時代の飛火野は、蛍が舞う名所だったようです。

 

右上には、“風雅(上品で趣がある様)”として、「いにしへの野守のかがみ跡たえて とぶひはよはの蛍なりけり」の歌。かつて狼煙があがった飛火野には、火の粉も無数に舞っていたはず。発光しながら舞い踊る蛍は、まるで火の粉が飛び散るように幻想的に見えたのでしょう。

 

左上には「あげ雲雀(ヒバリ) 飛火の野守 出でて見よ」の句。空高く舞いあがる雲雀のことが詠まれています。雲雀は4月頃、よく通る高音の歌声をあげて盛んに舞います。蛍よりも早い春の情景の句です。
現代も、飛火野で蛍や雲雀を見ることができるのでしょうか。飛火野の南端の林間に小川が流れているので、蛍を探してみようと思います。

 

緑が広がる開放感!「飛火野」の情報記事はこちら
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